アド


トレンド


ランキング


プロフィール

santa1one

沢山の幸せを見つけて、沢山の愛を育てて、幸せへの階段を確実に一歩一歩進みましょう。
幸せ案内人!


メインコンテンツ


リンク


ブロとも申請フォーム


1GB!FC2ブログ パート
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
日常生活者としてわたしたちが共有している知識には、たとえば電車の切符の買い方や銀行預金の仕方といった生活上のノウハウや問題の処理法をはじめ、「こういうときにはこうするとよい」といった行動の指針、「男(女)とはこういうものだ」といった通俗的な定義(決めつけ)などがふくまれる。前章でふれた縮約的な障害概念もそのひとつである。さらに「父親」「おば」「教師」「郵便配達人」「店員」といったさまざまな人間類型に関する膨大な知識もふくまれている。また、村や都市や会社や学校などの生活組織における人とのつきあい方や作法、勤勉や正直といった道徳的規範もその重要な要素である。序論でふれた「権力のことば」「消費のことば」も忘れてはならない。▼6


▼7 アルフレッド・シュッツ『現象学的社会学の応用』中野卓監修・桜井厚訳(御茶の水書房一九八〇年)六―一〇ページ。あるいはA・ブロダーゼン編『アルフレッド・シュッツ著作集第3巻 社会理論の研究』渡部光・那須壽・西原和久訳(マルジュ社一九九一年)一三六―一三八ページ。
 とはいっても、日常生活者の知識を専門的知識より低く見るのは早計である。前者は「かりに社会の『相応な能力の』成員であれば他の人たちは身につけていると、行為者が仮定し、また相互行為におけるコミュニケーションを維持するためにたよられる、自明視された『知識』」▼8でもあるのだ。つまり、自分が相手に話しかけるとき、わたしたちは、さまざまなことを仮定し・自明視するし、そのことを相手も承知していると自明視する。▼9そのことによってスムーズにことが運ぶのである。このような知識がなければ社会生活は成り立たないだろう。しかし、そうかといって、日常生活者の知識は静態的な不変のものではない。知識は具体的な行為のプロセスで修正されたり、専門的知識の介入によって訂正されたりする。だからいつまでも自明で共通であるとはかぎらない。その意味で動態的に見ていく必要があるし、知識の分布状態にも相当なむらがある(偏在性)。それゆえ時間と空間の広がりのなかで捉えるよう注意しなければならない。



日本人は「知識」ということばを狭くとりがちである。何か専門的なものか、観念的なものを思い浮かべてしまう。だが、ジンメルの使っている「知識」はかなり広い概念であり、何といっても日常的なものである。今日の社会学も広い意味で「知識」を使う。まず、なぜ社会学が拡大された知識概念を使用するようになったのかについてかんたんに説明しておこう。

 社会学には知識社会学という分野があり、「存在被拘束性」(Seinsverbundenheit)といって、知識はすべて社会的条件に規定されていると考える。「意識は存在に規定される」として「イデオロギー」批判を続けたマルクス主義に対して、知識社会学は「そういうマルクス主義だって『存在に拘束されている』じゃないか」と批判したのである。ところが「そういう社会学者だって『存在に拘束されている』ことになるのではないか」と反批判され、「社会学者は『浮動するインテリゲンチャ』だから『存在』から自由なのだ」と、いささか弁解がましい応酬をしたという経緯がある。

 「現実の理論的定式化は、たとえそれが科学的なものや哲学的なもの、あるいはまた神話的なものですらあったにせよ、社会の成員にとって〈現実的〉であるものをすべて汲みつくしているわけでは決してない。こうした理由から、知識社会学はまずなによりも、理論的なものであれ、前理論的なものであれ、人びとがその日常生活で〈現実〉として〈知っている〉ところのものをとり上げねばならない。ことばをかえれば、〈観念〉よりも常識的な〈知識〉こそが知識社会学にとっての中心的な焦点にならなければならない、ということだ。意味の網目を織りなしているのはまさしくこうした〈知識〉であり、この網目を欠いては社会は存立し得ないのである。」▼4

▼4 P・L・バーガー、T・ルックマン『日常世界の構成――アイデンティティと社会の弁証法』山口節郎訳(新曜社一九七七年)二三―二四ページ。
 かれらの主張以後、知識社会学の仕事は大きく変貌することになる。もちろん、自然科学的知識の社会性(歴史性)を分析する研究なども相変わらずさかんだが、その一方で「日常生活の社会学」の有力なアプローチとして知識社会学は再定立されることになる。後者のあつかう「知識」は日常生活のなかでわたしたちが使用しているありふれた知識すべてをふくんでいる。これを社会学者たちは「日常生活者の知識」(シュッツ)「日常知」もしくは「常識的知識」(バーガーとルックマン)「共有知識」(ギデンス)などと呼んできた。このうちバーガーとルックマンによると「常識的知識」(commonsense knowledge)とは「日常生活の常態的で自明的なルーティーンのなかで私が他者とともに共有している知識」と定義される。▼5本章でもここから再出発して、専門的知識や序論で論じた反省的知識などへと議論をつなげていくことにしたい。



 | BLOG TOP |  NEXT»»